リューです!
タイトルですが…「こみゅか」ではなく「こみゅりょく」です。
現代社会ではとても大事なことだって言われ続けています!

企業が採用選考で重視する要素として、ほぼ1位にランクインしている「コミュニケーション能力」
コミュニケーション能力について少し考えてみました。
Contents
「コミュ力」⇒「伝えるべきことを端的に伝えられる力」
分け隔てなく皆と話せる人はコミュ力がある、って思う人は多いと思いますが、私は必ずしもそうは限らないと思います。(断固)
誰だって話したい人と話したくない人の区分けはしているはずで、本当に平等に人と話ができるのはAIくらい。
すなわちAIが最もコミュ力がある、ということになります。
私は、誰とでも話せることがコミュ力の指標になるのではなく、「伝えるべきことを端的に伝えること」がコミュ力の一番の要素だと思っています。
社会が要請しているコミュ力のある人というのは、ただおしゃべりさんという訳ではなく、伝えるべきことを正しく伝える能力を持った人だと考えています。
いくら口数が多いおしゃべりさんでも、伝えないといけないことを相手にきちんと伝えることができないのであれば、コミュ力はないと思います。
初対面の人とすぐ仲良くなる人もコミュ力があるのではなく、ただ人見知りをしないというだけで、コミュ力の証にはなりません。
「他人と仲良くなるのに時間が掛からない」という長所ではありますが、だからと言って会社にとって欲しいか力というと疑問符が付きます。
「伝えなければならないこと」というのは、例えば「仕事上でのトラブル」「担当している仕事の状況」「疑問点・不安要素」「自分ができること・できないこと」などをきちんと自分の口から伝えることです。
特に、自分ができないことを相手に明かすのは、ある意味自分の弱い部分を見せるわけですから、プライドが高い人ほど躊躇してしまうことであります。
ですが、できないことも出来ると言ってしまって、自分の器量以上の任務を与えられて結局失敗するといった流れはハッキリ言って最悪です。はなから今の自分では出来そうにないということを伝えるべきだと思います。
それは「逃げ」ではなく、起きてしまうミスを未然に防ぐ意味では会社のためになっています。
また仕事上のミスを上司に伝えづらいという理由で隠しておくと、ミスの傷口は開いていく一方です。
だからと言って遠回しに上司に伝えるのも、誤解を生む危険があります。

コミュ力の中には「相手を思いやる力」も含まれる
ならば、ミスしたことも、自分の弱点も堂々と胸を張って言えばいいのかというと、そうではありません!
「ミスしました」「俺にはできないっす」
聞いた相手はどうでしょうか?
反省の色は見えないし、ただ投げ出しているだけにしか見えませんね。
「ミスをしてしまいました。今このような状況なのですが、私はこのようにカバーすることを考えています。いかがでしょうか?」
「申し訳ありませんが、私の力量ではこなせそうにありません。勉強させてもらってもよろしいでしょうか?」
という、聞いた相手が呆れないような言葉で理解を得る必要があると思いますよ!(笑)
「聞いた相手がどう思うか」を考えずにとやかく話すのは、コミュ力があるとは言い難いと私は思います。
この力は機械と人間の間を大きく分ける力の1つだと思います。
「アウトドアな人=コミュ力あり、インドアな人=コミュ力なし」なんて法則は成り立たない
アウトドア派の人でも何が言いたいのか全然伝わらない人はいるし、インドア派の人でも上手に伝達できる力が長けている人は多くいます。
ただ口数の多さで、コミュニケーションの有無を推し量るのはどうかなと思います!
コミュニケーション能力は才能ではなく、鍛えられるもの
コミュニケーション能力が生まれながらにして高いなんてことは無いと思います。
コミュニケーション能力はテストなんかで測れるものではなく、ただ周りがコミュ力が高いとか低いとか査定しているだけに過ぎません!
だからコミュニケーション能力は自分の心の持ちようで鍛錬が可能だと思います。
社会的生物の人間にとってコミュ力って大事なもの。
大学生のうちに磨いておこーっと